稲門ライブラリ
大正13年創部の早稲田大学ホッケー部のこれまでの歴史の中から、印象に残る出来事や人物、その他を紹介するコーナーです。(敬称略)
掲載日 | 紹介内容 | 詳 細 |
2015/4/8 | 【ゆかりの地・人(2)】 | 写真家土門拳の作品にみるホッケー部の記録 |
2012/3/13 | 【ゆかりの地・人(1)】 | 蕎麦処「三晃庵」 |
2011/2/8 | 【名場面集(2)】 | 「第61回全日本ホッケー選手権大会」 (1987年) |
2010/7/25 | 【出来事(1)】 | 女子部創部 |
2009/2/7
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【名場面集(1)】 |
【ゆかりの地、人(1)】 蕎麦処「三晃庵」 早大ホッケー部の卒業生のみならず、東伏見の地にグランドを構える多くの早大運動部の現役学生、OBOGが利用した蕎麦処「三晃庵」。その発祥は昭和2年に遡る。場所は現在と同じ西武新宿線東伏見駅の東側踏切脇。平成16年に建て替えられた9F建てマンションの1Fに店舗を構えるが、多くのOBOGは以前の店構えの印象が強い。
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【名場面集(2)】
【田村保氏(1988年度卒) 談】 |
【出来事(1)】 「女子部創部」 大正13年創部の早稲田大学ホッケー部に女子部が創部されたのは平成3年(1991年)に遡る。当初は正式な部ではなく、ホッケーをやってみたい学生が集まった同好会の形で発足した。当時の関東大学女子ホッケー部としては平成以前より筑波大、成城大、東京女子大、津田塾大、武蔵大などが部として活動しリーグ戦に参戦していたが、平成元年以降各大学で新たに部が発足し始めていった。早稲田もそうした新設の女子ホッケー部の一つであった。 平成9年からは早川氏が監督として就任、そして平成11年からは錦織氏(平成22年6月まで女子ホッケー部監督)もコーチとして合流し強化策が講じられる。その一環として本格的に高校生のスカウティングに力を入れ始め、女子部員の特別推薦入学枠も認められるようになった。その他一般入試により入学した高校ホッケー経験者の入部もあり、徐々にチームとしての実力がつき、2部リーグから1部リーグへと昇格を果たす。一時2部リーグへ降格した時期もあったが、再び1部に昇格、平成18年からは錦織監督(総監督は寺本氏)の下でさらに実力をつけ、平成21年の東日本インカレにて念願の初タイトルを手に入れる(この大会には山梨学院大は参加せず)。ここ最近の活躍は以下の通り。
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・開催年:1962年(昭和37年)
・開催年:1962年(昭和37年) 東京オリンピックの前年で、全日本代表チームがシーズン中でありながら海外遠征し、市川監督、寺本主将、植中選手がそれに参加してしまったため居残り組みでのリーグ戦参戦であった。リーグ戦の始めはチームがまとまらずチグハグしていたが、最終戦まで全勝で進み法政大学との決戦となった。この法政戦は1点先制されたもののその後追いつき、最後は天明選手の決勝点で優勝を決め、西田彰生代理監督(昭和34年卒)を胴上げした。その夜は稲天寮の廊下で祝勝会を行い大騒ぎをした。なぜか当時学院生(高校生)であった和田明仁君も祝勝会に参加していた記憶がある。
「第12回全日本学生選手権大会 決勝」 ・開催年:1963年(昭和38年) |