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稲門ライブラリ

大正13年創部の早稲田大学ホッケー部のこれまでの歴史の中から、印象に残る出来事や人物、その他を紹介するコーナーです。(敬称略)

掲載日 紹介内容 詳  細
2009/2/7

【名場面集(1)】

「第11回全日本学生選手権大会 決勝」他 (1962〜1963年)
2010/7/25 【出来事(1)】 女子部創部
2011/2/8  【名場面集(2)】  「第61回全日本ホッケー選手権大会」  (1987年)
2012/3/13  【ゆかりの地・人(1)】  蕎麦処三晃庵」
2015/4/8  【ゆかりの地・人(2)】  写真家土門拳の作品にみるホッケー部の記録

【名場面集(1)】

「第11回全日本学生選手権大会 決勝」

・開催年:1962年(昭和37年)
・会  場:富山石動高校

【試合結果】  準優勝
 早稲田大学● 0-1 ○明治大学
     (前半0-1/ 後半0-0)

【メンバー】
 監 督  市川監督
 選 手  [4年]大竹、木原、野口、山本、村田
       [3年]佐野、高田、寺本
       [2年]天明、稲垣、平尾、津久井、植中、原、橋本
       [1年]大西

 この年のインカレ会場は富山石動高校だった。真夏に行なわれ暑さでバテバテの記憶が残っている。そうした中でも、市川監督得意の早朝練習を行ない試合に臨んでいった。準決勝は法政大学に1-0で勝利し、次いで決勝は明治大学が対戦相手となった。明治は全日本代表の勇崎、三輪、山岡、加奥、若林、・・・等の選手がいた強力チームであった。前半に早稲田は1点を失い、後半に反撃をかけたいところであったが、頑張ったものの残念ながら追いつくことができず悔しい敗戦となった。当時は水を飲みすぎるとバテるからと抑え、代わりに塩をなめて試合に臨んでいた。バテている私に、1年上の山本英輔さんがリポビタンを買っていただき、頑張れと言われたのをいまだに覚えている。

■写真
(前列左から)大会関係者、大竹、木原、市川監督、野口、山本、佐野
(後列左から)大西、天明 高田、稲垣、平尾、津久井、植中、寺本、原、橋本、プラカード嬢、村田

 


「昭和38年秋季 関東学生リーグ戦」

・開催年:1962年(昭和37年)

【試合結果】  優勝

 東京オリンピックの前年で、全日本代表チームがシーズン中でありながら海外遠征し、市川監督、寺本主将、植中選手がそれに参加してしまったため居残り組みでのリーグ戦参戦であった。リーグ戦の始めはチームがまとまらずチグハグしていたが、最終戦まで全勝で進み法政大学との決戦となった。この法政戦は1点先制されたもののその後追いつき、最後は天明選手の決勝点で優勝を決め、西田彰生代理監督(昭和34年卒)を胴上げした。その夜は稲天寮の廊下で祝勝会を行い大騒ぎをした。なぜか当時学院生(高校生)であった和田明仁君も祝勝会に参加していた記憶がある。

■写真
(前列左から)津久井(2)、天明(3)、西田監督代理、橋本(2)、原(3)、鈴木(2)
(後列左から)井上(2)、大竹(OB)、高田(4)、稲垣(3)、志村(1)、佐野(4)、石田(1)、吉村(1)、平尾(2)、服部(1)、鏑木(1)、中山弘(OB)、北島(OB)

※カッコ内の数字は学年


「第12回全日本学生選手権大会 決勝」

・開催年:1963年(昭和38年)
・会  場:法政大学木月グランド

【試合結果】   準優勝
 早稲田大学● 1-2 ○明治大学
      (前半0-1/ 後半1-1)

 前年に続き、準決勝の相手は法政大学。2-2となった試合だが延長戦で1-0と下し、決勝戦へ。これも昨年同様明治大学であったが、こちらも1-2で惜敗した。

【佐野二郎氏(1964年度卒) 談】

 【出来事(1)】

「女子部創部」

 大正13年創部の早稲田大学ホッケー部に女子部が創部されたのは平成3年(1991年)に遡る。当初は正式な部ではなく、ホッケーをやってみたい学生が集まった同好会の形で発足した。当時の関東大学女子ホッケー部としては平成以前より筑波大、成城大、東京女子大、津田塾大、武蔵大などが部として活動しリーグ戦に参戦していたが、平成元年以降各大学で新たに部が発足し始めていった。早稲田もそうした新設の女子ホッケー部の一つであった。
 きっかけは大学の体育授業のホッケー実技の授業に参加する熱心な女子学生たちだ。当時の体育授業におけるホッケーは佐野氏(現稲門倶楽部会長)が実技指導をしていたが、20名は超えるであろう学生たちは皆熱心に授業に参加し、授業終了後も自主的にホッケーを続けていた。そこで佐野氏の提案でまずはホッケーサークルとして活動を始める。指導は佐野氏を中心に、当時の男子部員や早大大学院生であった久我氏(現駿河台大学女子ホッケー部監督)がコーチとして実技指導に当たった。当然のことながら部員全員が未経験者なので、戦績については言うに及ばず、まずは何とかホッケーの試合ができるレベルを目標に練習を行なっていた。
 正式にホッケー部の女子部として対外的に試合を行なうようになったのは翌平成4年から。この年は早稲田大学ホッケー部創部70周年を迎える節目の年であるが、関東大学リーグ戦、早慶定期戦(既に慶応大学でも女子ホッケー部は創部されていた)に参戦した。

平成9年からは早川氏が監督として就任、そして平成11年からは錦織氏(平成22年6月まで女子ホッケー部監督)もコーチとして合流し強化策が講じられる。その一環として本格的に高校生のスカウティングに力を入れ始め、女子部員の特別推薦入学枠も認められるようになった。その他一般入試により入学した高校ホッケー経験者の入部もあり、徐々にチームとしての実力がつき、2部リーグから1部リーグへと昇格を果たす。一時2部リーグへ降格した時期もあったが、再び1部に昇格、平成18年からは錦織監督(総監督は寺本氏)の下でさらに実力をつけ、平成21年の東日本インカレにて念願の初タイトルを手に入れる(この大会には山梨学院大は参加せず)ここ最近の活躍は以下の通り。

 【最近3年間の戦績】
   春季リーグ  学生王座  東日本インカレ  秋季リーグ  インカレ   早慶戦
 平成20年  4位  ベスト8  準優勝  5位  1回戦負け   勝利
 平成21年  3位  ベスト8  優勝  3位  ベスト8   勝利
 平成22年  3位  ベスト8        



■創部当時 (旧東伏見グランド)


■公式戦に参戦 (中央は久我コーチ)

【名場面集(2)】

「第61回全日本ホッケー選手権大会 決勝」

・開催年:1987年(昭和62年) 12月10日〜13日
・会  場:東京都(財)三菱養和会巣鴨スポーツセンターグランド他

【試合結果】  優勝
<予選リーグ>
 早稲田大学○ 3-0 ●表示灯
 早稲田大学○ 3-1 ●京都クラブ 
 早稲田大学△ 1-1 △明治大学
 ※Aプール 2勝1分で1位
<決勝戦 12/13>
 対 天理大学 積雪のため試合中止 両チーム優勝 

【メンバー】
 監 督  佐野監督
 選 手  [4年]田村(主将)、高橋、山内、岡野
       [3年]馬杉、小林、片平、佐々木、大林、今林
       [2年]中居、須藤
       [1年]落合、福田、井上、野原
       [マネージャー]小柳、戸沢

 前年度(1986/S61)、佐野二郎監督、和田剛主将(唯一の4年)のもと、部員数13名で早稲田としては久し振りの全日本出場を果たした。しかし、予選リーグ最終戦、優勝した天理大学に接戦の末、2対3で破れ決勝進出はならなかった。

 そして翌1987(S62)年。部員は少数(16名)ながら戦力的には充実した布陣であった。しかし、大学王座は第3位、インカレは準決勝でPS戦の末、天理大学に敗れ、残すは全日本選手権だけとなった。全日本戦選手権初戦。対戦相手は表示灯(現名古屋フラーテル)。再三のピンチを堅守で切り抜け、数少ない得点チャンスを決め3対0で快勝。勝負に対する執念があらわれた内容で昨年敗れた雪辱を果たした。2戦目の対戦相手は京都クラブ。一進一退の攻防の中、確実にチャンスをものにし、3対1で2勝目を挙げ、この時点で3戦目の試合結果が負けでも決勝進出が決定する。そして3戦目の対戦相手はこの年のインカレを征した明治大学。終始、攻め込みながらも1対1の引き分けとなり、納得いかない結果ではあったが、早稲田としては1966(S41)以来の優勝を目指し、決勝へと駒を進めた。決勝の相手は昨年最終戦で敗れた天理大学。
 決勝戦当日、朝より底冷えのする日であった。NHKでテレビ放映も予定されていた。しかし昼前からの降雪により試合開催困難となり、決勝は中止、両チーム優勝という判断が下された。日程変更(延期)という方策も検討されたようだが、両校部員の一部も含まれる全日本ジュニアチームが、この直後に予定されている国際試合参加のためのマカオ遠征が組まれていたため実現できなかった。複雑な思いの残った結末であったが、久し振りの優勝を果たすことができた。

■写真
後列左から:片平、山内、佐々木、小林、和田、馬杉
前列左から:須藤、中井、田村、岡野、高橋、大林

※写真は前年(1986年)のインカレで撮影されたもの(法政大学グランド)


【田村保氏(1988年度卒) 談】

【ゆかりの地、人(1)】

蕎麦処「三晃庵」

 早大ホッケー部の卒業生のみならず、東伏見の地にグランドを構える多くの早大運動部の現役学生、OBOGが利用した蕎麦処「三晃庵」。その発祥は昭和2年に遡る。場所は現在と同じ西武新宿線東伏見駅の東側踏切脇。平成16年に建て替えられた9F建てマンションの1Fに店舗を構えるが、多くのOBOGは以前の店構えの印象が強い。
 本格手打ち蕎麦が自慢の三晃庵は、現在の店舗でも表通りに面した蕎麦打ち台で実際の蕎麦打ちを披露する。その絶品の味は練習後の学生の空腹を満たすだけでなく、週末に東伏見を訪れるOBの酒処としても今だその役割を終えることはない。因みにホッケー部においても学生の試合やイベントで東伏見に集まった後は、この三晃庵で二次会となるのが定番である。焼酎の蕎麦湯割りを飲みながら現役当時の出来事や現在の学生の戦績を語り合うと、つい時が経つのを忘れてしまう。
 
 学生当時、東伏見界隈でお世話になった飲食店はいくつもあるが、この三晃庵は卒業後もつい足を運んでしまう「心の故郷」の様な場所だ。

    (上左) 昭和52年までの店舗手前に西武新宿線の踏切遮断機が一部見える

(上右)昭和15年に撮影された店のご主人
(中左)昭和52年〜平成16年時の店舗

(中右)建物全体。右が西武新宿線踏切
 
 
(下)平成16年に建て替えられた現在の店舗(1階部分)ビル。手前が西武新宿線踏切。 
 

【ゆかりの地、人(2)】

写真家土門拳の作品にみるホッケー部の記録

 平成22年、写真家土門拳の最初の作品集とされる早稲田大学政治経済学部1937年(昭和12年)の卒業アルバムが復刻され、それを記念した写真展が講談社にて開催された。写真には部活動に励む学内での姿や下宿先、銭湯など生活している姿など生き生きとした様子が撮影され興味深い。  (朝日新聞記事より抜粋)

 こうした写真の中に当時のホッケー部の活躍ぶりを撮影したものもあった。昭和11年開催の第13回早慶ホッケー定期戦と試合(勝利)後の最上級生(当時は3年制)達のものだ。実はこの前後の早慶戦の戦績を見てみると昭和7年から昭和10年の間、そして昭和12年から昭和15年の間、それぞれ4連敗を喫しており昭和11年がこの年代における唯一勝利した年となっている。さらに早稲田は昭和11年度の全日本ホッケー選手権大会で見事優勝しており、撮影された4名の選手を含め当時のホッケー部員達にとって昭和11年は格別な年であったであろう。

  (上左)写真展に展示された写真

(上右)運動部の活躍を撮影した写真
(下左)昭和11年の早慶定期戦の1シーン
(下右)試合後。
 左から森下、河原、山田、横山(敬称略)
 
【写真提供:阿左美利男氏(昭和26年卒)】

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