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平成20年度チーム 卒業生のメッセージ

選手名
メッセージ

窪田 哲士

 早稲田大学をもう卒業してしまうのかと思うと、本当にあっという間の4年間でした。
この4年間を振り返ると色々なことがありました。私はスポーツ推薦で早稲田大学に入れて頂いたのですが、入学当初は試合でミスばかりをしてチームに迷惑をかけ、さらに先輩には「何で今年のスポーツ推薦がお前なの?」と直接言われ凄く悩み、辛い時期が続きました。(下手な自分がいけないのですが…)また高校の同期が他大で活躍している姿を見てすごく悔しい思いもしました。このような思いばかりをしていたので、ホッケーなんて辞めたほうが良いと考えたこともありましたが、私が真剣になって取り組めるのはホッケーであり、私からホッケーを無くしたら何も残らないので、とにかく目の前の事を一生懸命頑張ろうと思い続けてきました。
 それ以後も辛い経験をたくさんしましたが、試合に勝ったことや私自身が上達したと実感できたこと、飲み会で先輩、同期、後輩と色々な話をすることができたこと等、辛いこと以上に楽しい思いをすることができました。
 4年生では主将を務めさせて頂きましたが、早稲田大学ホッケー部は中村部長、佐野稲門倶楽部会長をはじめOB・OGの方々、寺本総監督、田瀬監督、その他多くの方々の支援を頂いていると実感しました。ありがとうございました。そして、自分の力の無さを実感した1年でもありましたが、そんな私に最後まで付いてきてくれた同期、後輩には感謝しています。
 後輩にはこれから辛い事をたくさん経験するかとは思いますが、とりあえず目の前の事を一生懸命やって今まで通りに頑張ってほしいです。 最後に、今後はホッケーの指導者を目指して勉強していきますが、早稲田大学で培ったものを誇りにして頑張ります。

野本 悠太郎

 私は早稲田大学高等学院からホッケーを始めました。
高校で引退した時には、大学で続けるかどうか半々くらいで悩んでいたのですが、大学で理工学部に入学したことや高校の同期の反応から入部を断念しました。大学1年生はサークルにも入らず、大半をアルバイトに費やしていました。冬になり、個人的な理由から時間が余ってしまったことや、再度大学ホッケー部の先輩方が勧誘してくれたこともあり、入部を決意しました。
高校の時とは全く違う練習や環境で、日々新鮮な部活動を送ることができました。
 思い返してみれば辛かったことの方が多いのですが、それでも不思議と嬉しくなり、とても良い経験ができたと思います。手を骨折したり、FWからDFに転向したり、主務を経験したり、指を骨折したり、膝痛で数か月練習できなかったりといろいろありましたが、全てが大切な思い出です。このような素晴らしい体験をさせていただき、OB・OGの諸先輩方、首脳陣の皆様、先輩、同期、後輩には大変感謝しています。
 今後は、部活動やアルバイトの経験を生かして、教員を目指しながら大学院に進学します。
また、高等学院のコーチとしてグラウンドに行きたいと思います。
高等学院の先生になれるよう頑張りますので、これからもご指導のほどよろしくお願いいたします。

宮野 至


 高校に入学し、たまたま初めに勧誘してきた部活。それがホッケー部でした。マイナー競技をやるのも面白そう、という軽い気持ちで始めたのですが、まさか大学に入ってまで続けるとは思ってもいませんでした。大学2年の時、男子ホッケー部がキーパー不在ということで、当時主将を務めていた前田祐介先輩に声を掛けて頂いたのですが、最初はあまり乗り気ではありませんでした。しかし初めて参加した練習で暖かく迎えてくれたみなさんのおかげで、まんまと入部させられてしまいました。
 入部してからは高校ホッケーとのレベルの違いに驚かされる日々の連続で、ただただ上級生についていくだけだったのですが、あっという間に時が過ぎ、遂には自分が最上級生という立場になっていました。最後の年は王座決定戦出場を逃し、その他の大会での成績も前年度に比べると落ちてしまいましたが、それでもこの1年間みんなとホッケーができ、引退試合となる早慶戦では勝利の瞬間をみんなと一緒にピッチの上で味わえたことがなによりの喜びでした。真夏のキーパー練習やラントレ集中期間などキツイと思うこともありましたが、大会後の打ち上げや毎日の寮での生活(寮外生ですが)など充実した日々を過ごせたのは、自分を可愛がってくれた先輩方、今でも顔を見せる度「いたるさーん」と声をかけ自分を慕ってくれる後輩たち、そして監督不在の中主将を務めてくれたテツ、今年でもう8年目の付き合いになる悠太郎という2人の同期のおかげだと思います。
 最後ではありますが、毎日グラウンドに足を運んで頂き御指導して下さった寺本総監督を始め、多くのOBOGの皆様方、そして試合の応援に駆けつけて下さった部員の御家族の方々の支えあってこそのホッケー部でした。よりよい環境でホッケーをさせて頂けたことを深く感謝申し上げたいと思います。今までどうもありがとうございました。これからの後輩たちの活躍、そして学院出身の選手が絶えず続いていくことを強く願っています。

山口 響子

 私がホッケーを始めたきっかけは特にありません。私の通う小学校にホッケー部しかなかったからです。強制です。中学にあがるときも、高校にあがるときも、辞めようかと悩みました。それでも続けてこれたのは、もちろんホッケーが好きだったから、そして、共に戦ってくれた仲間がいたからでした。  大学に入るときも、悩みながら入試をうけたことを今でもはっきりと覚えています。入学当時、そして4年生にあがる時、私には同級生という存在がいませんでした。こんな時に同級生がいればと、思った回数、思い悩み涙を流した回数は数えきれません。  けれど、私が一人ぼっちだったからこそ、多くの方々が暖かい声をかけて励ましててくれました。手を差し伸べ、背中を押し、導いてくれました。自分でいうのもなんですが、私は本当に周りの方に恵まれていると思います。同級生は別として…
 大学でのホッケー生活、特に最後の1年は、本当に壮絶なものでした。プレー以外のことが、私の頭を支配し、心が壊れてしまいそうでした。あんなにも大好きだったホッケーが大嫌いになり、グラウンドにいくことも、スティックを握ることも、何もかもが嫌になった時期もありました。けれど、こんな自分をキャプテンと慕ってくれるかわいい後輩達、姉のように接して下さる先輩達、総監督、監督、コーチ、OBOGの皆さん、部員保護者の皆さん…弱虫な私を支えて下さる多くの力があったからこそ、私はこの1年を乗り越え、無事14年という長いホッケー人生の引退を迎えることができました。今の自分があるのは、周りの皆さんがいてくださったからこそです。  現役を退いた今、改めて、ホッケーをやっていてよかった、早稲田大学に入ってよかったと心から思います。関わっていただいた全ての方々に感謝しています。本当にありがとうございました。

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